平成27年度第2学期終業式 校長式辞

校長

 今日は、二十四節気の一つ冬至で、1年間で昼の時間が一番短い日です。二十四節気や冬至という暦で使われる考え方は、古代中国の殷の時代(紀元前17世紀頃以降)頃から太陰暦による実際の気候と暦のずれを修正するために徐々に考案されたもので、現在使用している新暦(グレゴリオ暦)には直接関係はしていないのですが、生活上、季節の区切りを意識するために残されています。6月の夏至以来、日ごとに昼の時間が短くなってきていましたが、明日から少しずつではありますが昼の時間、明るい時間が伸びていくと思うと、気持ちも明るくなっていくようです。
 さて、第2学期の4か月間を振り返ってみてどんな生活が送れたでしょうか。大きな行事では、樟風祭と2年生の修学旅行があり、3年生は進路の決定に向かって就職試験や入学試験に取り組みました。部活動に目を転じれば、陸上競技新人戦東海大会ハンマー投げで2位になった中山君をはじめ、幾つかの部が県大会以上の大会に出場しました。新入生を迎えるための秋と冬のオープンスクールでも、生徒会本部役員をはじめ多くの生徒諸君がボランティアで協力してくれました。多様な場面で生徒諸君の素晴らしさが発揮され、本校に対する中学生や保護者からの評判は、年々高まりを感じています。本日在籍中の613人の生徒諸君一人一人にとっては第2学期どのように過ごせたでしょうか。
 今年も2人の日本人がノーベル賞を受賞しました。この2人の受賞で、日本の自然科学系のノーベル賞は、アメリカ籍の南部陽一郎氏と中村修二氏を含め計21人となったそうです。(文学賞と平和賞の受賞者がさらに3人います。)特に西暦2000年(平成12年)以降は受賞者が16人に上り、この期間だけで見るとアメリカについで第2位を占める人数です。
 今年の受賞者2人の内、医学生理学賞を受賞した大村智さんは、これまでの受賞者と比べると20歳代までは多少異色な人生を歩んでいました。
 大村さんは、昭和10年に現在の山梨県韮崎市の比較的裕福な農家に生まれました。父親は農業に従事し地域の世話役・名士のような存在で、母親は国民学校(現在の小学校)の教員という家庭でした。
 小学校時代はあまり勉強をせず農作業をよく手伝っていたようで、戦後の新制中学時代もサッカーや野球に明け暮れたスポーツ好きの少年であり、いずれ大村家の後を継ぐということであまり勉強をせよとも言われないで育ったとのことです。高校進学については、ごく自然に地元の韮崎高校へ行くことになり、当時強豪としてよく知られた韮崎高校サッカー部に入部し夢中でサッカーに取り組みましたが、祖母の強い意見でサッカーをやめ卓球部に入部したようです。なんでも打ち込む性格で卓球に夢中になり、高校2年からはスキーもはじめ卓球部とスキー部の兼部をし、スキーでは高校2年の冬、山梨県スキー選手権大会長距離高校生の部で3位になりました。これによりますますスキーに打ち込み勉強はほとんどしなかった。そのため、勉強はできる方ではなかったようです。
 高校3年の5月、虫垂炎で静養中に、父親から大学に行くことを認められそれから必死で勉強をして山梨大学学芸学部へ進学しました。入試直前の2月にはスキーの県大会クロスカントリーの10キロに出場し優勝し、直後に大学入試を迎えたようです。
 中学・高校時代は、大学入試の直前まで勉強の話はなく、もっぱらスポーツに打ち込んだようです。この点は、以前お話しした青色高輝度LEDを発明した中村修二さんが中学・高校時代バレーボールに打ち込み地元の徳島大学に進学した話と似ています。集中力の高さ、興味を持った物には徹底して打ち込む姿です。この集中力の高さが大学卒業後の東京都内での夜間定時制教員を経て科学者への道につながっていきます。大村さんも中村さんも世間で言われるような超難関国立大学の卒業生ではありません。ただ、一つのことに打ち込む力・集中力の高さを持っていました。皆さんは、夢中になるもの打ち込めるものを持っていますか。夢中になりより深く関わりを持とうとすることが、その人の未だ自覚されていない秘めたる資質を開花させる手立てと思います。高校3年間の伸びしろの大きさを作る原動力です。この1年間を振り返る中で、自分自身夢中になれたことがあったか見詰め直してください。
 大村さんの言葉に、「苦しい時こそ一歩前へ」「人真似ではその人のレベル止まり。独創性がなければならない」とありました。苦しい、やめようかと思った時こそ、頑張って一歩前へ出ることで大きく伸びる。人真似ではその人のレベル止まりということも言葉としてはよくわかります。分かってはいても、多くの人は苦しい時にもうここまでかと自分で自分の限界を決めてしまっているのが現実です。ここで我慢してもう一歩、もう少しという気持ちで耐えることができれば、これまで見えなかった世界が見え始めるでしょう。また、はじめは人真似である水準まで自分の技量を高めることはやむを得ないこともありますが、その真似る過程において常に目標とする水準を自分ならどう乗り越えるか別の方策も考えていなければ目標を超えることはできません。学習への取り組みでも部活動でも、自分で目標を決め身近なところからやってみようではありませんか。
 夢中になって自分の打ち込むべき目標を自覚している人はさらなる努力を、夢中になれるものがまだ見つからず模索している人は、現在の自分の在り様に満足せず、勉強でも部活動でも何か夢中になって打ち込めるものを是非考えて下さい。高校3年間、人により残された時間には違いがありますが、その時間の中身をどれだけ濃密にすることができるか、どれだけ自分を伸ばすことができるか、一人一人の取り組みに期待します。
 高校3年の5月、虫垂炎で静養中に、父親から大学に行くことを認められそれから必死で勉強をして山梨大学学芸学部へ進学しました。入試直前の2月にはスキーの県大会クロスカントリーの10キロに出場し優勝し、直後に大学入試を迎えたようです。
 中学・高校時代は、大学入試の直前まで勉強の話はなく、もっぱらスポーツに打ち込んだようです。この点は、以前お話しした青色高輝度LEDを発明した中村修二さんが中学・高校時代バレーボールに打ち込み地元の徳島大学に進学した話と似ています。集中力の高さ、興味を持った物には徹底して打ち込む姿です。この集中力の高さが大学卒業後の東京都内での夜間定時制教員を経て科学者への道につながっていきます。大村さんも中村さんも世間で言われるような超難関国立大学の卒業生ではありません。ただ、一つのことに打ち込む力・集中力の高さを持っていました。皆さんは、夢中になるもの打ち込めるものを持っていますか。夢中になりより深く関わりを持とうとすることが、その人の未だ自覚されていない秘めたる資質を開花させる手立てと思います。高校3年間の伸びしろの大きさを作る原動力です。この1年間を振り返る中で、自分自身夢中になれたことがあったか見詰め直してください。
 大村さんの言葉に、「苦しい時こそ一歩前へ」「人真似ではその人のレベル止まり。独創性がなければならない」とありました。苦しい、やめようかと思った時こそ、頑張って一歩前へ出ることで大きく伸びる。人真似ではその人のレベル止まりということも言葉としてはよくわかります。分かってはいても、多くの人は苦しい時にもうここまでかと自分で自分の限界を決めてしまっているのが現実です。ここで我慢してもう一歩、もう少しという気持ちで耐えることができれば、これまで見えなかった世界が見え始めるでしょう。また、はじめは人真似である水準まで自分の技量を高めることはやむを得ないこともありますが、その真似る過程において常に目標とする水準を自分ならどう乗り越えるか別の方策も考えていなければ目標を超えることはできません。学習への取り組みでも部活動でも、自分で目標を決め身近なところからやってみようではありませんか。
 夢中になって自分の打ち込むべき目標を自覚している人はさらなる努力を、夢中になれるものがまだ見つからず模索している人は、現在の自分の在り様に満足せず、勉強でも部活動でも何か夢中になって打ち込めるものを是非考えて下さい。高校3年間、人により残された時間には違いがありますが、その時間の中身をどれだけ濃密にすることができるか、どれだけ自分を伸ばすことができるか、一人一人の取り組みに期待します。
                  平成27年12月22日  校長 吉永清貴